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 太陽が壊れたら、太陽系は終わると思う?
太陽が壊れるなんて表現、まるで太陽を機械的に捉えてるみたいじゃない?

 人みたいに太陽が生きてるとする。
人は壊れたって言い方、そんなにしないと思うけど、そんな言い方がされない訳じゃない。
 「あいつは壊れた」、あるいはただ「壊れた」って言う時は、何かが面白おかしすぎて笑いが止まらなくなってる状態の人とかを指してる事が多いと思う。
 じゃ太陽が人みたいに生きてるなら、太陽が壊れたって表現は、太陽が笑い転げてる時に使うのが相応しいのかも。

 太陽が笑い転げてるなんて、また、太陽を何だと思ってるのか?

 まあ実際に習慣的な使い方なんてあまり意味がないものだけど。
仮に、ある時、太陽が凍りついたなら、そうなった時にまだ誰か生きてる奴がいたら、そいつは多分「我らの太陽は壊れた」て嘆くのかも。

 我らの太陽。
我らって誰まで含めた我らなのか?
正直、その我らに、僕が含まれてる可能性は非常に高い。
何せ、僕が太陽という時、あの太陽は地球生物の物だと、はっきりそう思ってる部分がある。

 我らの太陽。
少なくとも、ほんとにそうであったら嬉しい。
いつか遠い世界の誰かに会った時の事を想定するなら。

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 雨が降ってる日は憂鬱になる人っているらしいね
 
 けどよく考えてみて。
太陽が熱くて、海を燃やしつくしてしまったら、世界はきっと暑すぎる、

 夏休みってさ、怠いでしょ?
まああなたは雪国生まれかも知れないけどさ。

 太陽が海を燃やしつくす前、熱で蒸発して空でまた冷やされた水々が、この地上に降り注ぐから、海は海であり続けるんだって、考えてたら循環ってとても大切だと気づくね。

 雨宿りは楽しい。それは真理ならなんてスバラシキ事か。

 こんな話がある。
昔、雨宿りしてた一人の男の子が、重大な事に気づきました。
雨は全く止む気配なしなのです。
男の子には二つの道が開かれていました。
ずぶ濡れになる道。
それに待ち続ける道です。
あなたが待ち続ける道を選んだと想像して。
もし待ち続けるというのを、誰かが迎えに来てくれるのを待ち続けてる、という風に解釈出来たなら、あなたは多分幸せ者。
雨が止むの待ち続ける人よりは。多分ね。
雨が止むの待ち続ける人でも、死を待つよりは幸せ者。まあこれも多分ね。

 僕なら謎が何もかも解けるのを待ってる。それだけは確実に言える事。
そういう人、他にもいたら嬉しいです。

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そこに直接行くことで、多くの事を明らかにしてくれた惑星探査機ボイジャー計画、に関わっている事でも有名な天文学者カール・セーガンはある著書でこのように書いています。
「長い歴史の中で、人はほとんど全ての期間放浪民族だった」

昔の人みたいな旅なんて出来るかはわかんないけど、時々は旅(とても短い事も、ある程度な長さの事もあるけど)に出て、そういう話とかこのブログに書いてこうかなって考えてます。

後は本とか映画の話とか、哲学の話とか。

これでも一応現代子だから、それらしく。

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